ビジネスに繋がる情報満載!建設業のためのポータルサイト

キーワードから探す

地域から探す

利用シーンから探す

INTERVIEW

あなたにとって「働く」とは? 足場を組むという鳶職の面白さに やりがいを感じて生きること、その魅力を伝えてくこと

今回のインタビューは、愛知県稲沢市に拠点を置く足場工事業者、株式会社オーテクニック代表の小川功氏。
着実に、しかもスピード感を持って成長を続ける同社の軌跡を追いました。

鳶職。仮設足場。
こう聞いてまずどんなイメージが思い浮かぶだろうか。
ニッカポッカ、危険そう、職人気質、キツそう・・・?

愛知県稲沢市に一つの足場会社がある。
そこでは職人たちがipadを手に予定をチェックし、
事務所ではスキルの高い女性事務員が事務作業、
CADでの図面作成に勤しんでいた。
聞けば、足場のことなら何でもできる、
足場に付随することも対応しているという。

その会社は、
2016年度で第6期目を迎える株式会社オーテクニック。

6年の月日の中で様々な困難にも直面するが、
着実に成長を続け、社員数は現在28名。
女性が活躍できる職場作りにも力を入れ、
全社一丸となりさらなる飛躍が期待されている。

同社代表小川氏とはどんな人間なのか
彼の人柄と、会社成長の要因、そして今後のビジョンを聞いた。

商売をやることは怖いこと。そう感じた少年期。

小川は三人兄弟の末っ子として生まれ
「叱られた経験が無い」というほど両親からの愛情を受けて育った。
兄弟がライバルで昔から負けず嫌いなところは変わらない。
そんな小川は中学生の頃、
父と叔父の経営する杭打ち屋土木工事業の会社が倒産するという憂き目をみた。
身内の会社倒産を目の当たりにして
「商売をやることは怖いこと」そう心に刻んだ少年時代だった。

高校を中退してほどなく
友人とともに地元の建設会社へ飛び込んだ。
鉄筋の圧接をする現場仕事。
それが小川の社会人デビューだ。

学生気分でいた17歳の少年にとって
社会や仕事の厳しさは予想以上のものだったが、
周りの大人達の支えもあって仕事を続けていた。
しかし、その会社は2年で倒産してしまい、
フラフラとした生活を送ることになる。

定職につかない生活をしながらも、
ぼーっと考えたのは
「会社が潰れなかったら、俺はまだその仕事をしていたかもしれない」
「自分は以外と辛抱強い方なのかな・・?」
ということだった。

足場の仕事で感じた初めてのやりがい

「給料いいな!」

それだけの理由で19歳の小川は足場工事の仕事と出会う。
それが今後自分の人生のやりがいとなる仕事になるとは思ってもいない。

足場会社に就職してからは、
生まれ持っての負けず嫌いがうまく前に出て
同世代の鳶には誰にも負けたくない!という気持ちで
ガムシャラに働いた。
夢中で働いていく中で、足場の面白さ、
仕事をすることのやりがいを感じ始めた。

足場の現場というのは仮設であり、
地図にも残らない仕事だ。
しかし、一つとして同じ現場はなく、
もし同じ現場に行くとしても、
木が一本増えていたりなんかして
何かしら違う条件なのだ。
それが良かったのか全然飽きることはなかった。
また、建物にフィットした足場というのは、
組む人によって違うのだ。
繰り返し足場を組みながら、
パワーをつけ、スピードがついてきて
自分自身への自信も生まれていった。

しかし、「出る杭はうたれる」とはよく言うが、
そんな伸び盛りの若い芽を摘むように、上司からは嫌がらせも受けた。
「こんな上司とは一緒にやりたくない」
そう思う一方で、

「手本にならない上司よりも、仕事ができるようになって見返してやろう」
そう考え方を切り替えて、より一層仕事に励んだ。
仕事を続けて4年目、そんな姿を見ていた社長から背中を押され
小川は独立を果たすことになる。

独立したばかりの、23歳の小川にあるのは
トラック一台と「小川興業」という屋号だけだった。

技術もまだ未熟だったが、それでも独立を決意したのは
人に言われて仕事をするのではなく、
自ら物事のやり方などを考えて行動したい!という
生粋の負けん気からだった。

まだ若いことも、未熟なことも自分が一番分かっていたからこそ
早く仕事を覚え、独立した経営者として経験値をつけたかった。
そんな一心で鳶服を仕立て、ひたすら現場で汗を流した。


独立時に買ったトラックは今も現役。大切に使い続けているという。

「自意識過剰なところもあったし、背伸びした独立でしたね(笑)」
かつてを振り返って小川は笑う。

小川が25歳の時にリーマンショックが世間を狂わす中、
さほど影響を受けることもなく、工務店などから直接仕事を受けるようになり
仕事は順調に増えていった。
仕事内容や人当たりの良さが口コミを呼び、依頼は増える一方、
経営者として人材確保がうまくできず、
職人が入ったり、辞めたりと人材の定着に悩んでいた頃でもあった。

最悪のアクシデント。親方としての責任。

26歳、景気は底打ちしていたものの、
親方となって着々とキャリアを積み4年が経過していた。

「足場工事は危険な仕事。」

建設業全般に言えることだが、
高所作業の多い足場工事は特に安全第一を常に考えなくてはならない。
それは小川も足場屋の親方として常々分かっていたにもかかわらず
社員の一人が作業中に大怪我を負う事故を起こした。

自分自身の認識の甘さを痛感し、安全第一とはどういうことなのか、
改めて考えさせられ、親方としての責任を強く感じ猛省した。
その時のことは今も忘れられない。

怪我を負った社員は1年半のリハビリに耐えて、
会社に戻ってきてくれ、
今も会社の主要メンバーとして活躍してくれている。
小川はこれを期にタバコを一切吸わなくなった。
小さいながらも自分自身へのケジメだった。

親方としての自分自身の在り方を見直し、
これまで以上に仕事に没頭していった。
昼は現場、夜はこっそり現場の下見と事務作業、
そんなハードワークな毎日だったが
この頃には
「資材やヤードを構えて完全独立したい」
そんな気持ちが強まっていった。


怪我から復帰し、会社に戻ってきてくれた社員の方と。

なんで今の仕事なのか?お金のため?社員さんは何なのか?
自問自答の日々。

小川28歳の時、ついに完全独立を果たす。
「社長にも承諾を頂いて、幸い喧嘩別れではありません(笑)」
そう振り返りながらも、
不安だらけで銀行から3,000万円を借りて設備投資し、
オーテクニックを設立するぞ!という一ヶ月前に東日本大震災が発生したことを話してくれた。

日本の社会情勢が大丈夫なのかどうか
先行きが見えない中、

「やるしかない。」

その気持ちだけで建設業許可も取得し
法人として走り出した。

社長として会社を経営し始めると、社内で誰かに叱られたり、注意されたりすることはない。
しかし、一歩会社を出て、地域の経営者と交流してみると
自分自身の至らなさにたくさん気付かされた。

そこで出会った経営者からこんな教えを頂いた。

”社長がスケジュール管理も出来ていないようではだめ。
時間は作るものだよ。
あなたより忙しい人はもっといる。
あなたじゃなくても出来ることは誰かに任せればいい。
任された社員さんも成長できる。
そしてあなたに時間が出来る。
一石二鳥です。
本気で変えようとしていないだけ、
それでは次のステップに行けない。”

この言葉がきっかけで小川の考え方は変わっていった。
それ以降、簡単には「忙しいので行けません」とは言えなくなったのだという。
「自分のスケジュール管理も出来ていないのに会社経営は出来ないと思っています。」と。

会社法人化から1年後、
工事の依頼規模も大きくなり、
ずっと足場の世界で一緒にやってきた信頼のおける仲間を営業へと移動させた。
その時に、自分が組織というものを管理し、
自らが経営者であるという立場を強く感じ始めた。

「何で今の仕事なのか、誰のために仕事をするのか/家族のためなのか」

「お金のためなのか、社員さんは何なのか」

このことを徹底的に考えるようになった。
自分の行き当たりばったりの思いで会社経営をして、
社員には夢も希望もない会社だったのでは、、
ということに思い至ったからだ。

社員の思いなども聞き、
明確なビジョンを掲げて共有していくことの大切さを
認識したのがこの頃だ。

会社を見つめ直し、
少しずつ社員と向き合えるようになっていった。

2度目の転機。。社長が5か月不在。会社はどうなったのか。

2013年、会社自体は消費税増税前の駆け込み需要の恩恵から
繁忙期が続いていた。

しかし、この年、小川は一身上の都合から会社を5か月間離れることになる。
忙しい最中に、経営者がいない会社。
大丈夫だろうかと不安は大きかったが、蓋を開けてみると
会社にとって大きな成長が待っていた。

一つ目の成長は会社の経営指針が固まったことだ。

小川はこの期間、時間を見つけては本を読み漁った。
「おすすめは小山昇さんですね。
頭の悪い僕でも読みやすかった(笑)」と笑う。

この期間、小川は
・決算書の見方や税金対策
・人事評価
・経営計画
・環境整備
それらを作成してまとめて、経営指針書を作成した。
経営者仲間に


オフィス全景。今後さらに土地を広げ資材置き場を完備する予定。社員が家族を連れて職場見学できるような会社にしていきたいと語る。

「指針書がないのは、社員を行き先のないバスに乗せているようなものです。」
「会社を無免許で運転しているようなもの。」

と言われて、ハッとさせられたのだ。

人事評価の作成には当初なんとなく抵抗があった。

しかし、“評価する目的”を
「ただ待遇に差を付ける」のではなく、
「成果をあげる方法を伝えるもの」と捉えなおした。

成果を上げた社員は
成果を上げるやり方を知っているわけで、
その“やり方”ノウハウを明確にして、
成果を上げる事が出来なかった社員も導き、

全員が高い成果を遂げ、
全員がスキルをあげて、
全員で高い報酬が得られるようしたい、
その結果で会社が成長すればいい。
そう考えたのだ。

二つ目の成長は社員たちの成長だ。

社長がいないなら、自分たちがやらねば!と
社員は急成長し自信をつけていた。
皆が一丸となって会社を切り盛りし、一人も欠けることなく
社長の復帰を待ってくれていたのだ。

この年から、小川の座右の銘は
「ピンチがチャンス」になった。
どん底を乗り越えた時に大きな収穫があることを身を持って経験し、
今ではピンチに直面するとワクワクしてしまうのだ。

働きやすい会社へ、そして仕事へのやりがい

会社を離れた5か月間を取り戻すように小川は夢中で働いた。
経営指針を練っていたことで、社内での連携もブレることがなく
前以上に仕事がスムーズに進むのがわかった。

2014年には資材投資、
ipadを導入しての業務管理、
社会保険完備、
フィリピンからの研修生迎え入れなど、
様々な取り組みを進めた。


「依頼をいただくお客様からの依頼は
できるだけ全部お請けしたい。」

そんな思いから資材投資を積極的に続けたり、
お客様から要望の多かった
CADでの図面作成業務もスタートするなど、
少しずつお客様の要望と期待に応えられる環境が整っていった。

対外的な環境整備が整うと同時に、
利益を社内へ還元するため、
沖縄への社員旅行を恒例行事としたり、
女性職員が働きやすい環境を作ることにも注力した。


スピード感を保ちつつ、
しっかりと中身を固めて前進を続ける
理想的な会社経営を続けている中で
小川は「働く」ということについて考えていた。

「お客様の期待に応えたい」
「自分が社員の手本になりたい」
「働きやすい会社、やりがいのある仕事にしたい」

これが今の小川にとっての「働く」だ。
来期には、
オーテクニックで経験を積んで独立を果たす人間もいる。
夢のある若い人材の背中を押せる土壌を作り、
たくさんの人に建設業で働いていくことの
面白さが伝わっていってほしい。
それは独立だけには限らない。
ずっと職人でいたい人、営業をやってみたい人、
親方になりたい人、CADで図面を書きたい人、
それぞれの”個”を生かせる組織にしていきたいのだ。

安全第一の建設業だからこそ、
職人、社員皆の健康面にも気を配りたいと考えており、
コンビニ弁当ばかり食べている社員に
健康的なまかない弁当を出せるお店を
始める構想もあると教えてくれた。
仕事面と、健康面でも働きやすさをサポートするために
チャレンジを続けていくようだ。

社員とお客様のこととなると話が止まらない、
そんなチャーミングな姿も
小川が多くの方から愛される要因なのだろう。


幼少期(中央のお父様に抱かれているのが小川氏)

同社の2016年度の年商は6.5億円の予定である。
小川が中学生の時、商売の怖さを身をもって教えてくれた父親。
その父親が数年前に亡くなった時、
叔父から、その会社がうまくいっていた時の売り上げが
8億だったと聞いた。

なんとなく一つの目標にしてきた数字が目の前に迫る。
たくさんの愛情で育ててくれた父へ
一つ恩返しができる日はもう間もなくである。

株式会社オーテクニック  お問合せ:0587-81-7141
〒492-8448 愛知県稲沢市北麻績町郷前15  http://www.o-technique.co.jp/index.html

一覧ページ